よつ葉牛乳の農家から。牛とのコミュニケーション
先生「搾乳の時、乳房を揺らし、尾をふり、最後は足を蹴り上げたりします。
そういう時は、牛自身も弱り乳量もガタガタと減り、全くダメな牛になるんです。
家内にその牛の悪口を言うと家内は、「パパのせいよ!牛のこと全くわかってあげようとしないのだから、人間の女性にやさしくできない人が牛をやさしく扱える筈がない。」と言うのです。
ショックでした。
しかし乳量が減るとこちらの死活問題ですから、しかたなく家内と娘に従って改めて女性学、人間学を学ぶことにしました。
驚いたことに私が変わっていくにしたがって牛も元気になり反抗もせず乳量もグングン増えるのですからね。
それからというもの、私は他人任せの牛の購入をやめて、農家が淘汰するという駄牛を譲り受けて、育てなおすことを覚えました。
そういう経験からつくづく教師というのは教えることよりその子の持っている才能をいかに引き出してやるかなんだと知らされましたね。牛からは沢山のことを習いました。」
こんな風に先生の牛乳の話は限りなく広いすそ野をもっていました。
私達母親のエゴイスティックなまでの生命観にも共鳴して下さる先生に私は思わず
「先生はどうして母親と同じ次元で生命のこと、子どものこと、語ることができるのですか」と伺ったことがあります。
先生は、「私は牛飼いをしていましたからね。酪農家にとって牛は、我が子同然です。
牛を一頭死なすことは自分の生命に関わるのです。子どもを育てることと全く同じですよ。真剣勝負です。」と答えておられました。
ここまでつたない文章で綴りました事柄は、現在まで二十年続いているよつ葉牛乳共同購入運動のほんの導入部分にすぎません。
しかしこの牛と土と草そして人間の関係の本来的姿勢は今に至る運を支え続けている原点です。