神楽坂123青木さんの四季折々つれづれ食材コラム

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つれづれ食材コラム

効率ばかりの日本の酪農

牛
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ホンモノの牛乳

岡田先生の言葉に共感した私は、先生の『私の農村日記』(筑摩書房 一九六四年)と『農民志願』(現代評論社 一九六九年)という著書を読んでみました。そこには、岡田先生のそれまでの奮闘ぶりがこと細かに書いてありました。

岡田先生は大正三(一九一四)年生まれ。静岡の神主の息子です。召集され戦地に赴き、シベリア抑留という体験ののち、帰国して地元の静岡県瀬戸谷村にある中学校の先生になりました。敗戦直後の貧しい時代、農村に育ちながら、米はおろか麦飯さえ食べられない生徒が大勢います。 岡田先生は生徒にハッパをかけました。をかけました。

「きみたちはしっかりしなければならない。農民がメシを食えないとはなんだ。お金がなくとも、自分のところで作った米ぐらい、しっかり食べられるようにならなければいけない」
すると級長をしている生徒が立って、こう質します。

「そんなことをいうけど、先生は、イネとムギの違いがわかるのですか?」

そのひと言が胸にグサリときた―と本には書いてありました。

「なるほどそうだ。 理想家ぶって、子どもたちを鼓舞するようなことを勝手に吹いて、私はいったい何さまだ!」

考え抜いた末、先生を辞めました。教頭になる寸前です。農民になりました。
農民志願とはいえ、岡田先生には土地があるわけでもお金を持っているわけでもありません。ちょうどそのころ、国が奨励して、埼玉県の鶴ヶ島村に「実験酪農場」を作るという話が起こります。岡田先生は応募し、酪農家へのスタートを切ります。

とはいえ、ことはそう簡単には進みません。何の知識も経験もないのですから試行錯誤が続きます。
『私の農村日記』に、牛の乳量が少なくて悩んでいたときのエピソードが載っています。
搾乳のことであれこれ工夫をこらしてみますが、どうしても乳量が増えません。どうしたものかと岡田先生は一人で悩んでいました。 考えてもあがいても解決策はいっこうに浮かびません。 そこで奥さんに相談します。奥さんの答えはこうでした。

「人間の女性で勉強しなさい。 女性の気持ちを理解できないで、牛に好かれる人なんていません」
「牛に乳をたくさん出してほしいなら、牛にこれっぽっちの心配も与えてはだめよ。 女性を尊重している人だけが、牛を管理すべき。いくら牛をかわいがって撫でまわしても、人間の女性を尊重しない人のかわいがり方は、牛には通用しない。たとえ搾乳技術がうまいと威張っても、女性に暴力を振るう人なら、そんな技術は肝心のところで役に立たない」
岡田先生はこのときはじめて、奥さんの気持ちや女性のことをわかっていなかったと気づきました。この言葉で、これまで思いやりに欠け、独断的であったと反省します。 「なんでも話し合いで解決すれば、パパの搾乳はもっとうまくなる」という言葉どおり、夫婦で話合いを重ねるごとに乳量が増えていきました。

牛に心地よくお乳を出してもらえるように、細かなところにまで気を配りはじめます。まず搾乳するときは、いきなり乳頭に触るのではなく、一度自分の手を温めて、乳頭部分も同じ温度の布で拭いてから乳を搾ります。急に冷たい手が触れたのでは、牛がびっくりするからです。そのような細かな心配りを、すべての牛に、すべての作業において行ないます。そうすると思いもかけない効果が現われてきました。それまでだめな牛と思っていた牛が、体つきから顔つきまですっかり変わり、一定した乳量を出すいい牛になっていったというのです。 「搾乳者や牛の管理者の態度によって乳量は決まる」と自信がつきました。

岡田先生はこうして酪農の道に入りました。 しばらくすると、日本の酪農は間違った方向に進んでいることに気がつきます。

「ゆっくり、たっぷり、牛が自由に選んだ草を食べさせていれば、牛はちゃんと健康になり、いいお乳を出す。それなのに、日本では牛乳を質ではなく、量で買う。だから農家は一リットルでも多く乳を搾ろうとする。

飼料会社も「この飼料を食べさせればもっと乳が増える」などといいだす。量ばかりで、質を忘れている。こんなことではだめだ。 土地の少ない都会近くの乳は、もう人間の飲む乳ではない」こういい切って、「安全食料開発グループ」という組織を立ち上げました。 『農民志願』という自著が発売されたこともあって、 志ある優秀な若者たちが岡田先生の周りに集まりはじめました。その若者たちが共同経営者となり、一緒に組織を立ち上げたのです。

その後、先生は「日本人が飲むべき乳は北海道にあり」と宣言し、北海道の牛乳を大消費地である東京に運ぶ運動に取り組みます。北海道は寒冷地のため、農産物は限定されますが土地は広大です。化学肥料などもったいなく、資金もないため使えません。しかし草なら豊富にあります。そもそも牛は寒いところに適していて、草こそが主食です。

ところが行政は「北海道の牛乳がおいしいからといって本州に持ってきたら、本州の酪農が潰れてしまう。 北海道の牛乳は、本州に渡らせない。その代わり補助金を出す。北海道の乳はバターやチーズの加工原料用にして、本州産の牛乳を乳にする」という方針です。消費者にはまったく知らされていませんでしたが、関係者のあいだで、これは「牛乳の南北戦争」と呼ばれていました。 岡田先生は、牛乳をはじめ食糧について猛勉強し、都会の母親たちに呼びかけました。実情を学び、どうしたらいい牛乳が飲めるか、そのために、とにかく実情を知ってください、学習してくださいと。人間が食すべきもの、食すべきでないもの、その違いは何か、主婦達や、消費者に自分で考えさせよう試みていたのです。


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