牛乳秘話 不協和音・・・
PTAの集まりを母体としてできた初期の牛乳購入グループGですが、
今からもう50年も前の当初は、私の説明を聞けば聞くほど、グループ内の皆さんからなにやら不協和音が聞こえてくるようになりました。
私が勉強してきた、岡田先生(食の知識を授けてくださる先生です。)
の主張していることが、世間一般の物流とはずいぶん違うものだったからです。
この牛乳を仕入れるためにはいくつかの条件がありました。その条件のひとつは、一回につき一リットルパックの牛乳一二本入りを二ケース、という最低量を保証することです。
一週間前なら変更できますが、減量は認められません。これは何とかこなせます。
もうひとつの条件は、前金での購入、前金制です。そのような商習慣もシステムもはじめてのことですが、それには理由がありました。 共同購入を行なっていくと、ある日突然、仲間の一人が転居したり連絡がつかなくなるというようなことが頻繁に起こります。
それが度重なると、私たちのような小さな会では、経理上すぐ立ち行かなくなってしまうのです。それを防ぐものが前金制でした。今日でも、私たちの乳研連合会もほかのグループも、この前金制を引き継いでいます。 未収金が発生すると、すぐ赤字になるよう体質は相変わらずだからです。
そういう不慮のトラブルを避けるための前金制でしたが、実はもっと大きな理由がありました。
前払いしてもらったお金を、生産者の皆さんに利子のかからないお金として使ってもらう、というのが岡田先生の発想でした。
酪農という仕事は施設の整備などで大金がかかります。
しかし、国や農協の営農法にのっとらないとお金を借りることができません。
効率化のために牧舎をオートメーション化しなければならないとか、大型機材を導入しなければなど、あれこれの規制が付きまといます。そうした方針に従っているばかりでは、生産者は安全でおいしい牛乳など作ることができません。
岡田先生はそこに着目して、会員からの前金を生産者組合にそのまま支払い、利息の付かないお金として利用してもらうと考えていました。首都圏全体で月に10万本とすると、二〇〇〇万円からの金額になります。このお金はきっとお役に立つだろうと。
私もこの案に大賛成でした。ところがそのような発想に対して、私の牛乳購入グループをはじめ他団体からも「そんな商売はおかしい」と、不信感が出てきました。さまざまな議論が飛び交い、ごたごたが続き、結局、グループは一年ほどで解散となりました。
私からすると、皆さんの反発は、世間常識の範囲内でしか物事を考えられないことに起因しているように見えました。世間体に添った形を尊重するか、形ではなく、内実を大事にするか、という違いだったように思います。内実こそ大事なのに――というのが私の感覚でした。
ふと周りを見回すとグループの仲間のうち、岡田先生から牛乳を購入するのは私だけになっていました。
さらに、「青木さんちのお嫁さんが、大勢の人の反対を押し切って得体のしれない人からの牛乳を広めている」という噂が立ちました。
私はただ、本物の、いい牛乳とは何かを知って、その道を歩んでいたつもりだったのですが….. 孤立です。
そんなことで悩んでいた私に、義父がある日、こんなことをいってくれました。
「たった一人だっていいじゃないか。六人が間違っていて一人が正しいってこともあるんだから。紀代美ちゃん、そんなにがっかりすることはないさ。この牛乳はおいしいし、なかなかいいよ」
このひと言に、私は大きく勇気づけられました。
幸いなことに、この牛乳を飲みはじめた一般の人たちからは、 一人としてやめたいという申し出がありませんでした。
いいもの、安全安心な牛乳を支持するお母さん方が大勢いることに気がついたのです。
その波に押されるように、私は最初のグループに代わる新たな共同購入グループを作りました。
「豊島城西よつ葉牛乳共同購入グループ」という組織です。
昭和四七 (一九七二)年のことでした。
(ちなみに、当時岡田先生が提唱した前金制は、そんな前例はないという 農協側 の判断で返却されてしまいます。一旦そのお金を突き返しておきながら、今日では再び前金制を採用するというお粗末な経緯があります)。