小松さんの無農薬白米 産地から素敵なお便り
お米のこと
私たちの会の前身「食べ物から歩き出す会」は1972年(昭和49年)
北海道のよつ葉牛乳の本州への輸送に成功しました。
そしてすぐ安全な主食(米)の生産者へとアプローチがはじまりました。1975年有機農業研究会の一楽先生のご紹介で秋田県大潟村の生産者早津さんの田んぼへと出向きました。その後、早津さんがお亡くなりになり、福島の小松正さんに無農薬米をおねがいしました。
約50年、国の無礼な農業政策、無能な減反政策・米は作るな、米を作らなければ補償金を出す。
減反しない農民にはペナルティーを課す。
・・・早津さんと組んでずっと戦いました。食管法で、生産者から直接お米は買えません。ヤミ米として相方が察に捕まります。
米代金はペナルティーで生産者には安く、安く、それを買う私達へは通常より、毎年、毎年あがりました。
米と米農家をしいたげている政府と農協にごまめの歯ぎしりのように向いあいました。
今現在お米が脚光を浴びているのが嬉しくてなりません。輸出米が国内消費より多くなっているとのこと。それも良いことと受け取っています。あだ花のようですが、お米にみんなの目が向いているのがらしいのです。
しかし、実際はお米の生産量は増えないと思います。
なにしろ、米を作る農家さんが高齢化し、この悲惨な仕打ちのなかにいた米農家さん達は後継者さんを育ててきていません。
しかし、お米は素晴らしい食べ物です。パンのように沢山の添加物を入れて焼くということはありません。
私は健康な食生活の原点は、米、味噌、醤油、酢、油、卵、牛乳・・・これについて一切の妥協ない、安全な生産者の顔の見える生産物を召上っているだけで、基本栄養は摂れると信じています。
私達の会には、それは全て揃えてあります。そして願わくは、私達の会のようなささやかな産消提携の会が日本中に沢山できましたら、必ず自給出来ていくと 50年の経験から申し上げさせて頂きます。
青木紀代美