紘二朗黒糖 誕生秘話 その4 紘二朗さんの新たな一面
彼の名は杉俣紘二朗さん。
問い合わせの電話からのひょんな出会いからずっとお世話になっている紘二朗さん。
ボランティアを通して、作業への誠実さや手先の器用さ、真面目さが浮き彫りになりました。
そのころのお話をします。
行動を共にしてみると勤勉な働き者で、とても器用な青年でした。
きれいに稲を刈り、難しい長芋掘りも、折らずに丸ごと掘り出しました。 小松ご夫妻やご近所の人たちともすぐに打ち解けました。
私は二泊して東京に帰りましたが、そのまま彼を小松さんに預けました。稲刈りのあとも、冬ごもりの準備のため元気に忙しく働いたそうです。ところが、冬ごもりの準備が終わってあたりが雪に覆われると、仕事はほとんどなくなってしまいます。
彼は、正月七日に隣町の柳津で行なわれる福満虚空蔵菩薩圓蔵寺の七日堂裸詣りに自ら申し込んで参加しました。褌一丁で百十三段の石段を駆け上がり、お堂の天井から垂れ下がっている麻縄を取るため、われ先に登っていく勇壮なお祭りです。
そういう話をじっくり聞いて、彼のことが少しわかったような気がしました。彼は怠けていたいのではありません。根っからの働き者なのに、やることがないのが問題でした。
彼は、働くことで人の役に立ちたかったのです。 格別することのない雪に閉ざされた冬の福島に置いておくわけにはいきません。
心あたりを探しました。
あ、そうだ、と思って喜界島で黒糖を作っている岡田忠二さんに電話すると、「キビを刈り取る人が足りない」とおっしゃいます。
しかし、あまりにも遠く、縁ある人もいない喜界島です。
でも、彼はすぐに「行きます」と答えました。
彼はBOOCS法の本を読んでいて、黒糖の価値をよく知っていました。
彼の名は杉俣紘二朗さん。
岡田さんからは、「いままでこんなに働く若者を見たことない」と、杉俣さんの働きぶりに目を見張ったとの嬉しいご連絡がありました。
三ヶ月のあいだ小松家で農家生活をしたことで、彼本来の性格がよみがえっていたのです。小松米の作り手小松正信さんは、寡黙ながら夜になって酒が入ると、農作物や仕事の話を訥々と語ります。
奥さんの万樹子さんはかつて「食べものから歩き出す会」で一緒に働いてくれたわが同志です。
農業の大切さや生きることの意味を探し、深く理解し、日々を精いっぱい生きている人です。
このご夫妻と共に過ごすことで、杉俣さんは多くのことを学んだのだと思います。
二人の息子さんたちからも慕われて、忙しくも穏やかな家庭の時間をすごしたようです。