紘二朗黒糖 誕生秘話 その3 黒糖の新しい作り手
BOOCSダイエットのお手伝いをしていたことは前に書きました。 事務局を私が買って出たために、出版されたBOOCSダイエット論「至福のダイエット革命』(講談社)に私たちの会の電話番号が掲載されたのですが、出版されたとたん、全国からたくさんのお問い合わせが届きました。
そのなかに、東京生まれの青年がいました。
鬱々と、ときどき電話をかけてきて、堂々巡りに近い話をとりとめなくしゃべりつづけます。BOOCS法を通じて多くの人に幸せになってもらいたいと思っていましたので、私は話し相手を一生懸命に務めました。
いろいろと話し込んでみると、青年の身の上がだんだんわかってきました。
彼は自動車が好きで、自動車整備の専門学校を卒業し、あこがれの有名自動車会社に入社したのですが、しばらくすると嫌気がさすようになりました。
やりたいと思っていた仕事とはまったく違う仕事だったからです。
愛知県の別の自動車会社に勤めていたころ、BOOCSダイエットの本を読み、会に電話をしてきたのです。
何度かやりとりしているうちに、彼のことが気にかかるようになっていました。あるとき「大好きなおじいさんが死んじゃった」という話になりました。
「おじいさんはおいくつでしたか?」
「八十すぎ」
「そう……本当に残念だけど、人のいのちは順序だから、と思いましょう。」
「おじいさんはあなたの悩みを全部持って向こうに行ってくれたはず。いま変わるチャンスかもしれませんよ。」
そう伝えると、彼の声は少し明るくなりました。
一度東京に出てきませんかと誘いました。 藤野武彦先生に直接診断してもらうのがいいと思ったのです。彼は東京に出てきて、藤野先生の診察を定期的に受けるようになりましたが、まだ鬱々としています。
たまたま私たちは福島県の小松米の小松正信さんのところへ稲刈りの手伝いに行く予定があったので、ふと彼を誘ってみました。
「手伝いに行きませんか?」
「はい、行きます」
なんとも素直です。