牛乳秘話 よつ葉牛乳運動が出発点でした。
2014年、夢に描いていた牛乳が北海道忠類村(八農協のひとつ)の五人の生産者によって生まれました。
「よつ葉放牧生産者指定・ノンホモ牛乳」です。
年間を通しての放牧、 NGM (No Genetic Modification 遺伝子非改変) 自家配合飼料、ノンホモ、低温殺菌―これこそ、岡田先生や私たちが求めつづけてきた牛乳です。
思えば、岡田先生は何度となく生産者側に要望を出していましたが、聞き入れられませんでした。 岡田先生が日本を去ったあと、私たちが要望を出しつづけても、「素人が勝手なことを……」と歯牙にもかけてもらえませんでした。
我々のスタートから四〇年。当時の生産者も三代ぐらい代替りしていました。ようやく消費者の声を聞き、現実のものとしてくれました。やっと目指すものに出会えたのです。
よつ葉牛乳運動が出発点でした
振り返ってみると、よつ葉牛乳の力は大きなものでした。
戦後の消費者運動は「主婦連」からスタートしましたが、そのテーマは「より良いものを、より安く」という主婦たちの生活防衛活動でした。
私が関わったのはそれからほぼ三〇年後の一九七二年ごろですが、時代は大きく変わっていて、「より安全安心な食べもの」へとカーブを切ろうとしていました。「より安く」から「より安全安心」です。
それまでの牛乳は日本の北から南までほとんど大メーカーのもので、どこでどう飲んでも同じ味でした。そこへ日本最北の僻地・北海道の弱小メーカーによる牛乳が躍り出ました。
「生産者による、生産者のための工場」が生み出した、成分無調整という牛乳です。
大メーカーのいいなりになっていた立場から離れ、彼らは品質の良さをもって消費者に問いかけました。
広大で、豊かな牧草をもつ北海道の牛乳は、牛舎の中での飼育方法とは違い、味も質もまったく異なります。 まろやかで、おいしく、これこそ本当の牛乳!という実感があります。しかし北海道以外では、これを飲むことができませんでした。
多くの消費者は、その本物の味を知ることもなく、北海道の牛乳は本州に入れないという国策も関係者以外には知らされていませんでした。
小さなこの農民工場は、大メーカーにはまねのできない、成分調整をしない、搾りたての牛乳で勝負に出ました。一九七一年、社長自ら、大消費地である東京のデパート(高島屋)の店頭に立って販売を試みたことがあります。
おいしいと感じたものの、都会の消費者は大メーカー製品への信仰が厚く、後が続きません。
そこへ現われたのが岡田米雄先生です。自ら酪農を体験し、土地から離れかけていた都市近郊の酪農に危機感を抱いていた当時の岡田先生が目指したのは、この豊饒な北海道牛乳を都会の消費者に届けることでした。
北海道からのミルクロードです。生産者に代わってその運動を始めたのです。先生はそれを、生産者による消費者運動と位置づけました。
岡田先生の活動によって、成分の無調整という、搾ったままの牛乳の品質の良さは、一気に消費者の舌と心をわしづかみにしました。
息子のためにいい牛乳をと歩き回っていた私も、真っ先にその恩恵にあずかった一人です。こうして私は牛乳運動に没頭していくのですが、そのことはすでに縷々書きました。
この運動を私なりにまとめると、次のようなことがいえると思います。
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①成分無調整の牛乳ができたこと。 牛乳からその栄養成分を抜くことは食品衛生法で許されていましたが、水一滴も加えることはできません。
大手メーカーは搾りたての生乳から乳脂肪(生クリーム)や有効成分を抜き取って、味と質を“調整”してしまいました。
その結果、日本中どこでも同じ味になりました。
②低殺菌牛乳(パスチャライズ)ができたこと。
日本の牛乳の85%は120度、2秒間の高温殺菌ですが、72度2秒間の低温殺菌牛乳ラインを作りました。
③ ノンホモ牛乳ができたこと。 牛乳の乳脂肪を砕かない。
乳脂肪を均一にしない。
④遺伝子組み換えの飼料で飼育しないこと(指定生産者に限る)。
⑤ 生産者指定・放牧ノンホモ牛乳の製造ラインの創設と発売開始。
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これこそ岡田先生はじめ私たちが待ち望んでいたものです。
これらは共同購入運動の成果といってもいいと思います。
何より、この実績は全国の心ある酪農家を刺激し、とりわけ中山間地にいる酪農家を勇気づけ、 まっとうな牛乳を作ろうと考えている酪農家への希望となりました。
これらは、消費者運動からの要望すべてを製造メーカー・よつ葉乳業が受け入れてくれたものです。たぶんほかの大メーカーではできないことだと思います。
もともと、よつ葉乳業という会社は農民工場でした。
三大メーカーや国や指定団体の下で、酪農民は声も上げられず苦しみを味わってきたことでしょう。
十勝周辺の八農協の筋金入りの組合長たちが「農民による農民のための工場(会社)を立ち上げたことで、生産者と消費者とのあいだの距離は数段短くなり、進むべき道を用意してくれたことは確かです。
その後も次から次へと、この会社と生産者から、大メーカーではなしえない健康を約束する乳製品が生まれています。
特筆すべきは、三代目社長の宮崎栄作さんです。この運動の草創期を共に知恵を出して乗り切ってくれました。この共同購入運動が目ざした「食はいのち、安心安全な食べもの」を生産者は供給する責任があるとして「農魂商才」を社是として掲げ、その姿勢で対話の場に臨んでくださったことでした。感謝です。
といっても、問題が解決されたわけではありません。いま日本の酪農は存亡の時を迎えていると思います。
TPO問題は遅かれ早かれ訪れるでしょう。
北海道の牛乳生産量は約三八〇万トン。 飲用向けが二〇%弱。あとはバター、チーズなど乳製品ですが、ここは自由化で大打撃を受け、大方が輸入製品にとって代わり、離農に拍車がかかるでしょう。おしりに火がついているのです。
北海道がダメでも本州の酪農があるという声もありますが、残念ながら、本州の酪農は北海道の酪農に依存しているのが現状です。
前にも書きましたが、本州の酪農は繁殖がうまくできず、北海道から孕み牛を持ってくることで成り立っています。
北海道の酪農が衰退することは本州の酪農の衰退につながり、さらには日本の酪農が潰れるということではないでしょうか。
そういうシュミレーションがすでに出されています。
外国産のロングライフミルク (カン詰めの牛乳)を飲ませるような事態は防がなければなりません。ホンモノの牛乳がなくなれば、未来の子どもたちの健康はどうなるのでしょう。
私は自分の息子のためという理由でこの運動に参加した一人ですが、息子は見上げるような大男に成長しました。
ここ10年、日本人の体格は欧米に近くなっています。 骨、筋肉、ミネラルを供給するには、牛乳や乳製品がもっと必要になると思います。日本の酪農を守り、安全安心な北海道の牛乳をもっともっと大きく発展させるには、よつ葉牛乳が大メーカーの品質上のリーダーになることを願っています。
そのためにもよつ葉牛乳運動の存在はますます大切になるでしょう。
多くの皆様のご協力をお願いしたいと思います。
本を書くなんていう大仰なことを、私はやる気もその気もありませんでした。
でもいざ取り組んでみると、まとめたり、確認しなければいけない場面がいっぱい出てきます。
その作業を続けていく途中で、私たちの運動をじっと見つづけていたある方にこういわれました。
「あなた方が気づいているかどうかわかりませんが、あの運動はすごいことだったのですよ。 牛乳の南北戦争を、あなた方は無血で、ごく当たり前のように解決させてしまったのです。 北海道の酪農民がこのままでは夢も希望も持てない、背に腹は代えられないと決起して、自分たちで農民工場を立ち上げたこと。
それをどこに売るのかというときに、大消費地の東京で、あなた方はその受け皿を作ったのです。 あなたが朝日新聞の「論壇」に投稿したことも大きな衝撃でした。役人も内地の指定団体も、この南北問題を消費者が知ってしまった、と飛び上がるほど驚いたのです。
あなた方の行動は、安全安心なおいしい牛乳があるなら、私たちはそれを飲みたいという、ごく自然な行動でした。 消費者が何を求めているかという根源的な行動でした。だから大メーカーも生産者も、誰も逆らえなかったのです」
このひと言に私は救われました。
ああ、よかった。間違っていなかったのです。
私たちのような主婦がこれに伍していくにはいくつものハードルがありました。
しかしこうした素人主婦たちのささやかな声が牛乳の南北戦争を終わらせ、ミルクロードを開いたのです。
その最中にいられたこと、岡田先生、 梶浦さんと出会えたこと。
私のぐらぐらした人生に一本の筋道を与えてくださったことに、私はとても感謝しています。